“—`Freedom is without price, Sir,’ said Andrew. `Even the chance of freedom is worth the money.'”
from
“The Bicentennial Man” by Isaac Asimov
言わずと知れたSF小説の大家,Isaac Asimovによる一篇から.この作品は1976年にアメリカ建国200周年を記念したオムニバス作品集の一篇として書かれたが,その企画自体が頓挫し本作品は通常のAsimov自身の一篇として出版されたらしい.この経緯のため,作品タイトルはそのものずばり「200周年の男」である.
物語は,Martin一家のところにお手伝いロボットNDRがやってきたところから始まる.幼い次女,リトル・ミス(Little Miss)はその記号を正しく読めず,”Andrew”(記号 NDR の英語発音「エンディアール」を思い浮かべてみること)と呼び始めたことから,「彼」はロボット Andrew として暮らすことになる.Andrew はとても特殊なロボットで,リトル・ミスに木彫りのペンダントを作ってプレゼントするなど驚くほどの創造性を見せる.寛容な Martin 家主人は Andrew の好きにさせ,また「アーティストには対価が支払われるべきだわ」というリトル・ミスの提案を容れて,作品の売り上げを Andrew 自身の貯金として扱うようになる.やがて時代が立ち,リトル・ミスが結婚して子供を作る頃,何世代も新しいロボットが作られるようになっても,Andrew のように人間らしいロボットが誕生することはついになかった.
Andrew は,ロボットである自分に優しい Martin 一家に感謝しつつ,少しずつ,「本当の人間になりたい」と願うようになる.あるとき Andrew は,そのための第一歩として,Martin 家主人に「自分を『自由』にして欲しい」と懇願する.「人間」は,他の誰にも所有されないものだからだ.さすがの主人も,これには驚いて反論する.ロボットが資産を持つことすら本当はグレーゾーンなのに,人間に所有されないと宣言することで社会がどう反応するか,その結果,Andrew が貯めたお金—その頃には60万ドル(6000万円)程にもなっていた—は,正当な所有者がいないものとして没収されてしまうかもしれない,そのことを考えてみなさい,と.
冒頭の台詞は,それに対して Andrew が答えたものだ.
「・・・自由であることに値段などつけられません,旦那さま.」アンドリューは言った.「自由の,そのかけらですら,すべてを投げ打つに値するのです.」(拙訳)
「自由」の国,アメリカの建国200周年に相応しい台詞である.また,その200年の間に,アメリカにも不幸な歴史があったことも我々は思い出すべきだろう.人間は,決して他人には所有されないものなのだ.Asimovは,そのことをSF作家としての立場で,ロボットに語らせることで我々に訴えかける.
Andrew は無事に自由を勝ち取り,やがて様々な改良「手術」を受け,限りなく人間へと近づいてゆく.反対に,人間も人工臓器などの発展である意味ではロボットへと近づいていく.それらが漸近するとき,果たして,人間とロボットの境目はどこにあるのか.それらが究極に近づいた暁にも,両者は依然として線引きはできるのか.これは古くから語られてきたトピックだが,ロボット工学が急激に進化し,また人工知能が新世代に入った本稿執筆時点で,改めて考えさせられる論点である.
この作品で,Asimov は無論この問題の答えは出さない.その代わり,Andrew が生産されて,いや「生まれて」200年が経つ頃・・・Andrew に優しくしてくれた,大好きなリトル・ミスも他界して100年以上が経った頃,究極の「人間らしさ」を求めて,Asimov は彼にあるひとつの決断を下させる.Andrew が最後に辿り着いた先がどこか,ぜひ作品を読んで確かめてみて欲しい.
ラストの台詞に,我々人間は,思わず涙をこぼさずにいられないだろう.